広島歴史散策 004「広電物語 (後半)」

広島歴史散策  アスリア  二〇一五年六月八日
 (第03回)
☆広電物語(後編)
 ここ、広島では、まだ梅雨です。
すっかり暑くなりました。今日は、#mission のなかに「広電本社へ行こう!」というのがあることから、広島電鉄関係の話の後編を書きます。

 前回、「広島駅」と「富国強兵」の話をしましたが、終戦直後の庶民のパワーもたいしたものだと感じます。だってなかなか復興の進まない東日本とか見てると、なんでかなーって思ったり。やっぱ諸悪の根源は、原発かな。
 ではでは、引用と感想を行ってみよう!

  広電が走る街 今昔 より 抜粋
 ☆的場町
 荒神橋をわたった左手の皆実線道路の川沿いには、戦後「大学」や「門」といったのれんを掛けた一杯飲み屋などが軒を連ね、勤め人などで賑わっていた。戦後十余年の間は、広島県庁のほか、中国財務局、広島国税中四国建設局など国の主要出先帰還が霞町の旧兵器支廠跡(現在の広島大学医・歯学部、同病院の場所)に所在していたため、比治山東側の段原の通りから広島から広島駅にかけての商店街は賑わいを見せていた。
現在は河岸の建物はすべて撤去されて緑地となり、都市の美観向上とともに川の水もきれいに澄むようになった。

 ☆稲荷町
 稲荷神社には、五穀を掌る神豊受大神のほかに、県北の三次市に古くから伝わる妖怪退治伝説の主人公「稲生武大夫」もまつられており、強く勇敢な行動によって人々を守ったことから、魔除け、強運を招く神様だといわれている。
 境内の幟には、漫画家水木しげるや、元・広島カープの鉄人衣笠祥雄選手の名前も見ることができる。

(感想)
 稲荷神社は、たしか前にingressという位置ゲームで、妖怪関連のミッションがありまして、そのなかに「チェックすべきポータルのひとつ」としてあげられていた記憶があります。
 妖怪ミッション、行きたいんだけど、1回で3時間はちょっとムリ……(涙)
 稲生武大夫ってひとは、初めて聞きましたが、この伝説を調べてみたいと思ってます。 
 稲荷神社、行ってみたいなあ。ミッションとは関係なしに、幟を見に行くだけでも行ってみたい。
 秋になったら、お邪魔しようかな。

 この写真は、今年の八月までひろでんが企画している、被爆電車プロジェクトの車内広告です。

広島歴史散策 003「広電物語 (前半)」

 広島歴史散策  アスリア  2015/06/22

歴史 広島 鉄道
 (第03回)
☆広電物語(前編)
 ここ、広島では、まだ梅雨です。
だんだん、暑くなってきました。今日は、広島電鉄関係の話を書きます。
 
 ☆広電(ひろでん)が走る街 今昔 より 抜粋
 ※広島駅
 山陽本線の前身、山陽鉄道が広島まで開通したのは、明治27年(1894)6月10日、その頃はまさに日清戦争開戦前の緊迫していた時期で、政府は広島まで開通した山陽鉄道と、軍の重要拠点となる宇品港(うじなこう)を結ぶための鉄道の建設を急遽決定した。
 広島〜宇品間5・9KMを、仮設とはいえ同年8月4日、着工してわずか17日間で完成させている。
 最初は本駅と呼ばれていたが、平成十三年(2001)11月1日、他の停留所名変更と同時に横川駅と歩調を合わせて「広島駅」と改称され現代に至っている。

 ※猿猴橋
 猿猴というのはカッパの異称と考えられるが、毛利氏の城下町時代からその名称が記されており、なぜこのような名称が付されたのか由来は定かではない。
 現在の猿猴橋は大正15年(1926)に架け替えられた橋で、当時は欄干に二匹の猿ともカッパともつかない奇獣が桃を捧げ持ったブロンズの装飾が施されるなど、優雅な橋であったが、戦時中、その飾りも金属回収で取り去られ、時代の波を大きく受けてきた。さらに原爆の閃光も浴びたが、その惨禍にも耐えて生き残った橋でもあり、現存する広島市内の橋としては、もっとも古い部類に入る。

(感想)
 広島駅について
 広電の広島駅から宇品港までの距離を、17日間で仮開設しちゃうって、すごくないですか? 「富国強兵」っていうのを教科書で習いましたが、当時の日本人って、エネルギーがハンパない! 最近の若者も、少しは見習って欲しい(笑)

猿猴橋町について
 猿猴川沿い散歩で、猿猴橋の近くを歩きました。たしかに猿猴橋は、古い雰囲気がただよっています。あのあたりは、非常に近代的な巨大橋もかかっていて、対照的な感覚があって楽しいです。
猿猴橋は、戦時中に、飾りを奪われたって言うんですが、再度つければよかったのに。
 デザインした人が、いなくなったのかな。

 来週あたり、広電物語の後編を書きます。よろしくお願いします。

☆鈴木三重吉の雑学(2)

歴史 広島 子ども
(第02回)
鈴木三重吉の雑学
ここ、広島では、まだ梅雨です。
天気のせいか体調不良が続いたりするので、不定期シリーズで雑学話でもしようかなと思います。今日は鈴木三重吉の話の続きです。


☆明治当時の小学校の授業は、教育勅語とセットになっていて、堅苦しく、生徒たちはすべて受動的で、教育内容も画一的な知識の詰め込みに終わっていた。
大正デモクラシーの影響で、『赤い鳥』が生まれたと言ってもいい。

第一次世界大戦を境にして、文語体が口語体になっていったが、明治四十三年(1910)〜大正十一年(1922)のころは、まだ難解な漢文派への深い執着が、森鴎外など文豪たちの間にいたるところに見えていた。

鈴木三重吉は、口語語で素朴な言葉を選んで表現することが、真実感を読むものに懐かせると言っている。彼にあっては、子どもの書く文章であろうと、そうであるまいと、口頭的言語文がもっとも普遍的で、わざとらしくなく、誇張的でないというのである。


鈴木三重吉は、当時の批評家に、「ネオ・ロマン主義」と呼ばれていた。

☆『赤い鳥』に影響されて、子どもたちも、堅苦しい漢文調ではなく、自由でみずみずしい感性にみちた詩を書くようになった。



北原白秋鈴木三重吉のコンビがなければ、『赤い鳥』もここまで成功しなかったであろう。



(参考文献「『赤い鳥』と鈴木三重吉」)



☆感想

「『赤い鳥』と鈴木三重吉」という論文は、わたしには合わなかったらしく、どうも知りたいことが書いていなかったんですね。たとえば、

鈴木三重吉が童話を発売したけど、いっとき失敗してしまった話や、それを成功させるために、「世界童話大全」という新しい童話を発売した話。

これは、『もっと知りたい 広島県の歴史』(監修小和田哲男)に書いてあったことなんですが、それに興味を引かれたんです。

一度大失敗したのに、再話という手段で、どうやって商業的に復活したのか。
書いてないんだよなあ。この本にも。

ただ、この本には、鈴木三重吉が、外国の民話や童話を、いかにわかりやすく再話したか、
という話は載ってます。
文章表現や技術的なことに関心がある人には、少し勉強になるかも知れません。

☆鈴木三重吉の雑学

歴史 広島 子ども 雑誌
 ここ、広島では、梅雨です。
 天気のせいか体調不良が続いたりするので、不定期シリーズで雑学話でもしようかなと思います。今日は鈴木三重吉の話。
 児童雑誌『赤い鳥』は、現在でいうところの広島県広島市紙屋町で生まれ、今で言う国泰寺高校を卒業した鈴木三重吉の作った児童向けの雑誌です。
当時、児童に対する童話は、鈴木三重吉に言わせると、めちゃレベルが低くて、娘が生まれたときに
「なにか娘に読んであげたかったのにナニコレ?」とひどく驚き、自分で児童小説を書いたのだそうです。
 紆余曲折ありましたが、なんとか『赤い鳥』は世間に発表されました。
 創刊号では、芥川龍之介が、『蜘蛛の糸』を発表。
 西条八十が、『かなりあ』(♪歌を忘れたかなりあは…… のアレ)を書いてよこしたのも、新美南吉が『ごん狐』を寄稿したのも、この雑誌です。
『赤い鳥』において、梅雨の季節にふさわしいのはこれ。
「雨 雨 降れ 降れ かあさんが 蛇の目でお迎え、嬉しいな
 ぴっちぴっち ちゃっぷちゃっぷ らんらんらん♪」
『赤い鳥』に参加した、北原白秋の「雨ふり」です。 
 Ingressによれば、こども図書館周辺に、鈴木三重吉レリーフがあるようなので、探してみるのもアリかも。

 ☆感想
 わたしは三重吉が、広島の人だとは知りませんでした。
 国泰寺高校は、一九五○年代ぐらいまでは、一流校だったらしいです。試験のやりかたが変わって、レベルが落ちてしまったとのことですが、三重吉は、この一流校を出ているわけです。だてに一流を名乗ってませんね。
 『蜘蛛の糸』なんかは、出自が童話なのに高校の教科書に載っていた記憶があります。
 その後、作家志望の人は書き写して勉強しましょう、ということで、この小説が全文引用されたHOW TO本もありました。実際に、書き写した人もいらっしゃるかもしれませんね。
 北原白秋については、すでに書いたかも知れませんが、それまでに文部省が、『我は海の子』とか、『埴生の宿』とかいった、ガチガチの文語調童謡を小学校に押しつけているのを見て、こりゃたまらんと反発。
 子どもの気持ちに寄り添った歌詞の童謡を作ることを決意して、三重吉の『赤い鳥運動』に参加したという話を聞きました。
 反発するだけでなく、現代にまで残る童謡を作れるんだから、北原白秋って、ただものじゃないなと感じ入ってしまってます。
 図書館でまた詳しいことを調べますので、新しいことがあればご報告できたらいいなと思ってます。その節は、よろしくお願いします。

逆説の日本史10

☆逆説の日本史10巻 井沢元彦
 日本史を、まったく新しい視点で切り取る論文エッセイです。
 10巻目の今回は、信長について、あれこれ書いてあるのを書評します。
 論旨は一貫していて、
 
 1:信長を残虐&宗教に不寛容というのは、当たらない。
 2:信長は、政教分離の基礎を作った
 3:信長は、自らを神とあがめさせようとした。
 
 この三点に終始しています。
 1と3については、この書物が出てから、かなり関連番組(映画も含む)とかが出たので、そのCMでちらほら知ってましたが、2についてはなるほどなーと思ってしまいました。

 政教分離の基礎を作るきっかけとして、例の本願寺焼き討ちとか、一向一揆の虐殺とかがあったらしいんですが。
まあ、それについては「戦国時代」という背景を考えれば、無理からぬ話だなと思うので、特に反論はないんです。

でも、中国との関係に触れてる部分で、どさくさにまぎれてA級戦犯の話を持ってくるのはどうだろう(笑) わたし個人の意見ですが、中国人につけいる隙を作ってる日本人の方に、非があると思うけどね。
まあ、それはどうでもいいんですが。
井沢さんが信長好きだってことは、よく分かりました。
あと、日蓮宗がお嫌いみたいだってことも、よく分かりました(笑)
こういう論文エッセイというのは、個人の嗜好とかがよく出るので、非常に面白いですね。無味乾燥した論文よりは、ずっと読み応えがある。
ただ、今後も続けて読みたいか、というと、そうでもないんだな。
この人の話は、論拠となる文章も、ちゃんと記してあって、どこかのだれかさんと違って、作者に敬意を払っているのが好感を持てますが、そこまでですね。
よく調べてるとは思うけど、それ以上じゃない。
過去問には詳しいが、未来についてはどうなのかなと思うことが、ちょっと感じる部分もありました。

 いま、日本は、大幅に変革を求められてる時代なんだと思います。
世界的にも、今までのやり方じゃ、うまくいかなくなってることは、明白ですね。
こういうときに、世界に通用する、どんな価値観を提唱できるか。
ちょっと考えたりもしました。

 面白かったし、読み応えもあったけど、もう充分読んだな、という感じもしますので。
この人の作品は、もう読まないと思います。
史書を研究して、人の論旨から考えたことを発表するのがお金になるんだから、やっぱり作家って、どっかいかがわしいよな〜と思ったりしたのは、秘密です(笑)

逆説の日本史 9

 ☆逆説の日本史9 井沢元彦
 日本史を、まったく新しい角度で切り取る井沢さんの歴史論文エッセイ。
 旬を過ぎてますが、二十一世紀初頭に話題になった本です。
 第九巻にあたるこの本には、

 琉球国の話
 倭寇の話
 戦国の時代の定義
 武田信玄の限界の話
 織田信長の天才性について

 が書かれています。
 なぜ、いきなり第九巻からご紹介なのかというと。
 単純に、戦国のことを調べたくて、この本を図書館から借りてきたんですが、非常に面白くて、1日で一気に読み終えてしまいました。

 倭寇には、二種類あって、初期のころの日本人が主体だった倭寇と、朝鮮や中国の人たちが主体になった倭寇がある、というところも面白かったんですが、この説がどの程度まで信じられるかは、また別の話だよなとか思ったりしました。
 
 あと、鉄砲伝来は、偶然の出来事ではなく、倭寇の大ボス王直が橋渡しになって、ポルトガル商人が新しい武器を必要としていた戦国時代の「黄金の国・ジパング」に鉄砲を売り込みに来た、という話も、面白かったです。
 この本が出版されたのが2001年なので、政治的な話題で古くなってる部分もありますし、もしかしたら、新しい研究がまた出て来て、新しい理屈を構築し直さなくちゃいけない部分も、井沢さんにはあるかもしれませんが、10年経っても、日本の政治ってかわってね〜な〜と思うことも。
 まあ、それはこの本の趣旨じゃないとは思いますが、いかようにも読み取れる表現を使うところが、井坂さんの謀略家めいたものをかんじたりもします。

 本能寺焼き討ちといった、ひどいことをした信長が、案外宗教に寛容だったという話は、じつは神田千里の「宗教で読む戦国時代」って本で読んだことがあるので、さほど目新しくは感じませんでしたが、豊富な知識をうかがわせるタッチの論文が続いていて、飽きませんでしたね。
 次の10巻も借りてきたので、読んでみたいと思います。

歴史秘話ヒストリア土方歳三
歴史秘話ヒストリア」は、時々事実誤認というか、演出のために事実をねじ曲げる傾向があるので、本を読んだりして確認しなくちゃいけない部分があるんです。
 今年の一月二十五日に放送した、「井原西鶴」の話でも、矢数俳諧の数について、ライバルたちの作った俳句の数がフィクションであることを言わなかったり、出家したことと作家活動を開始する時期が違っていたり、こまかいところが違います。
 西鶴の人生をストーリーにするために、事実をちょっとゆがめるのは、ノンフィクションを売りにしている番組としてどうなのよ、と思う。

 ヘレン・ケラーの話だって、わたしも自伝は読まなかったけど、なにかの本で、
 ヘレンとサリバンがサーカスで見世物になり、障がい者への理解を深めようとしたって話もありますが……。
 さすがにテレビでそういう話を放送すると、ヘレンの評判に傷が付くかもね。
 文字で読むのと、テレビで見るのとでは、やはり受け取り方は違うでしょう。
 

 今回の土方さんの記事も、ほんとうかなと思うことがありました。
 わたしの読んだ「燃えよ剣」では、土方さんと近藤さんが対立して、近藤さんが罠にかかって殺されたような書き方をしていました(たしか)。
 「燃えよ剣」は、昭和の小説ですから、その後新しい事実が出てきたのかもしれませんが、話を面白くするために、わざと事実を変えた可能性もあり、「あとで調べなくちゃ」とか思ってしまいます。

 ドラマにするために、事実が変わってしまう事って、よくある話なんですけどね……。
 大筋で間違ってないんだから、いいではないか、という問題なのかな……?
 テレビで手軽に偉人の過去を学べ、りっぱに娯楽作品になってるという点では、「歴史秘話ヒストリア」はいい番組なんですが、それだけで終わったら、事実誤認のまま、生兵法で歴史を認識するってことになりかねない。

 見た目が派手だし、わかりやすいし、わたしも好きな番組なんですが、
 それが必ずしも歴史への深い理解につながるかっていうと、そうでもないかもしれない。
秘話っていう言葉を使うこと自体が、すでにセンセーショナルな色を感じます。

入門にはいいけど、まじめに歴史をやってる人にとっては、痛し痒しなのかもしれないなと思う、今日この頃です。