☆鈴木三重吉の雑学

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 ここ、広島では、梅雨です。
 天気のせいか体調不良が続いたりするので、不定期シリーズで雑学話でもしようかなと思います。今日は鈴木三重吉の話。
 児童雑誌『赤い鳥』は、現在でいうところの広島県広島市紙屋町で生まれ、今で言う国泰寺高校を卒業した鈴木三重吉の作った児童向けの雑誌です。
当時、児童に対する童話は、鈴木三重吉に言わせると、めちゃレベルが低くて、娘が生まれたときに
「なにか娘に読んであげたかったのにナニコレ?」とひどく驚き、自分で児童小説を書いたのだそうです。
 紆余曲折ありましたが、なんとか『赤い鳥』は世間に発表されました。
 創刊号では、芥川龍之介が、『蜘蛛の糸』を発表。
 西条八十が、『かなりあ』(♪歌を忘れたかなりあは…… のアレ)を書いてよこしたのも、新美南吉が『ごん狐』を寄稿したのも、この雑誌です。
『赤い鳥』において、梅雨の季節にふさわしいのはこれ。
「雨 雨 降れ 降れ かあさんが 蛇の目でお迎え、嬉しいな
 ぴっちぴっち ちゃっぷちゃっぷ らんらんらん♪」
『赤い鳥』に参加した、北原白秋の「雨ふり」です。 
 Ingressによれば、こども図書館周辺に、鈴木三重吉レリーフがあるようなので、探してみるのもアリかも。

 ☆感想
 わたしは三重吉が、広島の人だとは知りませんでした。
 国泰寺高校は、一九五○年代ぐらいまでは、一流校だったらしいです。試験のやりかたが変わって、レベルが落ちてしまったとのことですが、三重吉は、この一流校を出ているわけです。だてに一流を名乗ってませんね。
 『蜘蛛の糸』なんかは、出自が童話なのに高校の教科書に載っていた記憶があります。
 その後、作家志望の人は書き写して勉強しましょう、ということで、この小説が全文引用されたHOW TO本もありました。実際に、書き写した人もいらっしゃるかもしれませんね。
 北原白秋については、すでに書いたかも知れませんが、それまでに文部省が、『我は海の子』とか、『埴生の宿』とかいった、ガチガチの文語調童謡を小学校に押しつけているのを見て、こりゃたまらんと反発。
 子どもの気持ちに寄り添った歌詞の童謡を作ることを決意して、三重吉の『赤い鳥運動』に参加したという話を聞きました。
 反発するだけでなく、現代にまで残る童謡を作れるんだから、北原白秋って、ただものじゃないなと感じ入ってしまってます。
 図書館でまた詳しいことを調べますので、新しいことがあればご報告できたらいいなと思ってます。その節は、よろしくお願いします。