広島歴史散策 (011) いしぶみ関連 (下)

 広島歴史散策  アスリア  二〇一五年八月一日
 広島 歴史 いしぶみ 
 (第11回)
 今週は、ミッション『原爆ドーム駅前スタート』と『郷土紀行 47』とのコラボです。
 前半後半に分けます。今回は、後半。
 1:碑銘
 2:碑文・追悼歌(詩)
 3:慰霊対象(精霊)(以下略)




1:動員学徒慰霊塔
2:(一部抜粋)
   禍つ日の ほのお果ててはいきにえの 人となりもてうち目守る 明日の世界を
うち目守る 明日の世界を  ああ学徒 動員学徒
3:動員犠牲学徒六○○○余柱

詳細はこちら。 
[ http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/tour/ireihi/tour_42.html:title= http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/tour/ireihi/tour_42.html
]
柔らかい解説は、こちら。
[http://yo-koda.sakura.tv/genbaku/genbaku2/doingakuto.htm:title=http://yo-koda.sakura.tv/genbaku/genbaku2/doingakuto.htm
]
サイトを見比べてみると、写真に撮る角度や光線の具合など、写真にも個性が出ています。


 木材統制関係者職員慰霊碑
1:慰霊
2:このドームは第二次世界大戦時我が国の木材統制機関であった広島地方木材株式会社の本社として職員260名の本拠だったが、原爆に遭ってドーム内で被爆した。当時の社長田中好一氏の発起で碑が建てられた。
3:100名程度

関連記事はこちら。[ http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/tour/ireihi/tour_40.html:title= http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/tour/ireihi/tour_40.html
]
広島ナビゲーターの記事はこちら。
 http://www.hiroshima-navi.or.jp/sightseeing/hibaku_ireihi/ireihi/4317.php


 そのほかの関連記事
http://tomura.lolipop.jp/9/905/05.mokuzaitouseiireihi.htm

別の視点から見たこの慰霊碑の記事
[http://h-s-o.net/ashita/ja/story/01/story_29.htm:title=http://h-s-o.net/ashita/ja/story/01/story_29.htm
]

 ☆目立つところにあるので、記事もあれこれいっぱいありますね。
  

 原爆の子の像(折り鶴の塔)


2:これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための
(碑右正面)
 
 これはウィキペディアで見ていただくのが一番かと思いまして、リンクさせていただきました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%81%AE%E5%83%8F


1:広島農業海原爆物故者慰霊碑
2:(概要)原爆で市井が燃え廃墟となった広島に、農業海役員の80余名犠牲になった。
 2:83柱

関連記事はこちら。
[http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/tour/ireihi/tour_50.html:title=http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/tour/ireihi/tour_50.html
]
☆感想
 広島のいしぶみ、いかがでしたか?
 『駅前ミッション』は、時間がかかりますが、いろんな発見が有ります。
 名前が彫ってある慰霊碑や、まったくないもの、世界をイメージしたものや、戦火のなかを逃げまどう女子どもの像。
 悲惨さもあるのですが、そのなかに一種独特の荘厳さもありました。
 
ミッションで紹介されているのに、『郷土紀行 47』になかったり、またその逆もあったりして、なかなか資料がそろわず、困ったのも事実です。
 調べるの、たいへん(汗)
 インターネット上の情報も、いっぱいあるのと、ほとんどないのと、量も質もまばらで、それも困った一因でした。
前回のいしぶみのなかには、アメリカの占領下で作られたため、碑文の内容が「原爆」を使えなかった、というものがあるとのことでした。アメリカは自由の国というのも限度があるんだなと思ったもんです(汗)

来週は、宮島&お好み焼きの話。
  ミッションと言うより、日常の話になりそうです。
  夏休みだから、いいよね!
お楽しみに。

広島歴史散策 (010) いしぶみ関連 (上)

 広島歴史散策  アスリア  二〇一五年八月一日
 (第10回)
広島 歴史 いしぶみ 慰霊碑 
 
 今月第二週はミッション『リアルグリフハックPEACE』でした。
 第三週(お盆)と第四週は、原爆犠牲者の慰霊碑写真と関連記事&感想です。
 第五週に、宮島&お好み焼きの話もします。

今週は、ミッション『原爆ドーム駅前スタート』と『郷土紀行 47』とのコラボです。
 前半後半に分けます。今回は、前半。
 『郷土紀行 47』によると、平成二年(1990)、『広島のいしぶみは見つめる』と題した、広島県内の原爆慰霊碑、供養塔を紹介した本が出版された(著者は西尾隆昌)とのことで、第2集も合わせると、慰霊碑の数は381基にもなるそうな。
 そのなかで、イングレスのミッションで知ったいしぶみをご紹介。



1:碑銘
 2:碑文・追悼歌(詩)
 3:慰霊対象(精霊)
 (以下略)
●市立高等女学校職員生徒慰霊碑
1:E=MC2
 2:友垣にまもられながらやすらかに ねむれみたまよこのくさ山に 昭和23年8月6日
(中略)
 碑文には、河内山賢裕の策で国家の難に挺身した可憐な生徒たちを『あなたたちは原子力(E=MC2)の世界最初の犠牲者として人類発展の尊い人柱となったのです」と彫られている。

 ☆一部書き写しに失敗したので、リライトしました。


国民学校教師とこどもの日
 1:原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑
 2:太き骨は先生ならむそのそばに 小さきあまたの骨集まれり 藤枝(台座裏面)
3:推定死没者 教師200名、子ども200余名。


関連記事はこちら
http://www.umaihiroshima.net/heiwakoen/hirosimasijo.html

詳しいのはこちら
http://masuda901.web.fc2.com/page2bx29.html




 ☆感想
 この二つの碑は、100メートル道路に沿った歩道のとなりの側道の中に建っています。
 被爆終戦七十年、せっかく夏休みにここに来たんだし、お参りしたいということなら、吉島営業所行のバスか、商工センター(あるいは庚午/アルパーク)行のバスに乗って、平和公園で降りるといいでしょう。
 すぐバスを降りると目の前に資料館がどーんとあるので、それに目を奪われますが、歩道の街路樹のなかにいしぶみがあるんですね。 まっしぐらに資料館に行くのではなく、周辺を散策するのも、新たな発見があっていいです。
わたしはもとは広島人ではないので、修学旅行で広島の資料館を見たりすることもありましたが、こんなにもいしぶみがあるなんて、凄いことだと思います。お金かかってる(そっちかい!)
 犠牲者の霊が、すべて神さまになってるあたりなんかも、日本らしいですな。
 人柱になるってところが、「江戸時代かいっ」と突っ込みをいれたくなったり。
 
来週もいしぶみの話です。形がいろいろあるのが興味深いです。『郷土紀行 47』に載っていたものとイングレスのミッションが重なるもののみ、ご紹介します。
 ミッションは楽しかったんですが、二時間も暑い中をハックして歩いたので(二〇一五年七月二十六日にミッション完了)、脱水症状になりかけました。困ったもんだ。

 




広島歴史散策 (009)

広島歴史散策  アスリア  二〇一五年八月一日
 (第09回)

 以下は、図書館で調べた史料と、それに対するわたしの感想です。

 『原爆ドーム世界遺産登録記録誌』より
 ☆原爆ドームは、昭和40年頃に、当時の最新技術だったエポキシ樹脂で、がれき類を固められた。
 
 ☆原爆ドーム世界遺産に登録する際、アメリカの反対を予測した人々は、原爆の責任は問わないことを決定した。まずは広島市文化遺産として登録し、その後日本に働きかけて、日本の重要文化財として認めさせ、その後、世界にという手順を踏んだが、日本政府はなかなか文化財として認めなかった。
 ☆原爆ドームは、最初は、思い出すことが多いので取り壊したいという人も多かった。

 





(感想)
 一九四五年八月六日、午前八時十五分。人類最初の熱核兵器が落とされました。
 その後、残った遺跡も、復興の波で次々と取り壊されまして、今残っているのは、日赤とか帝国銀行(現アンデルセン)とか、数えるほどしかありません。
 その中でも、特に有名なのがこの、原爆ドーム
 姿も美しいですよね。瓦礫だけど。
 
 壊れかけているだけに、風雨にさらされたら、あっというまに崩れちゃうってこと、常識的に考えれば当然なのですが、ここに来るまでそれに思い至りませんでしてね。
 瓦礫をエポキシ樹脂で固めるって話を読んで、
「うへー。根性!」 と思ったのはナイショです(汗)

 トルーマンが原爆投下を決めたとき、原爆を開発したオッペンハイマーたちが反対したが、トルーマンは聞かなかった。って話を、テレビか何かで聞いたことがありまして、これには人種差別の問題もあるのでは、という話も一緒に放送されていました。
その証拠に、ドイツには落とさなかったじゃないかというわけです。
 差別って、微妙な問題も含まれますね。
 そういうこともふくめて、この広島に来てから、いろんなことを発見しています。

 平和公園は、わたしにとっては、「異世界」です。
 過去にああいうことがあったのは事実だとは思うのですが、実感が伴わない。
 今度5日夜22時から、広島みなと公園で、平和のイングレス運動をしようというお誘いが来ましたが、そのイベントの企画者も、「自分は広島人だが、平和な現代しか知らなかった。しかし、イングレスをする間に、いろんな遺跡と巡りあい、考え方を変えることになった」という内容の記事が載っていました。
 その通りだなと思いました。
来週は、被爆70周年の関連記事です。よろしくお願いします。
 

広島歴史散策 (008)

広島歴史散策  アスリア  二〇一五年七月四日
 (第08回)
歴史 広島 遺跡

 以下は、図書館で調べた史料と、それに対するわたしの感想です。

(引用開始)
二葉の里 七福神めぐり 『郷土史紀行 50』より抜粋(後編)

☆尾長天満宮
寿老人(富貴長寿の神)
  玄鹿の命長きにあやかれと杖を引きつつ世を救う神
 寿老人は思いやりのある正しい心で善行を積めば、什器と長寿が得られると言われています。
また、南極星の精、寿星が寿老人として現れたので、求める者には富と健康な長寿を与えてくれる神です。

 ☆国前寺
 大黒天(福徳開運の神)
 打つ槌に宝の雨を蓋しつつ無福の民を救う御神
 大黒天は右手に打ち出の小槌を持ち、左手に大きな袋を背負って米俵の上に立っています。
 頭につけた頭巾は「上を見ない」という謙虚さを、また三つの米俵は「三俵で満足する」という欲のない清廉な心を表しています。穀物の神さま、農業の神さまで冨をもたらす神です。

 ☆聖光寺
 布袋尊(笑門来福の神)
限りなき宝の布袋 みてはげめ 笑う門には福来るなり
 布袋尊は中川の唐代の禅憎契比といかれ、容貌は福々しく大きな耳、そして常に袋を担っています
 払たちを悩ます限度を越えた欲望を退け、勤勉に心がければ全てを包容し、和合成功をかなえてくれます








(感想)
 このミッションは、スマホにクイズが載ります。
 そのクイズの参考に、このサイトを使ってください。

 さて、さまざまな神社をお参りしましたが、そこへ行く途中で、
「歴史の散歩道」という、マンホールみたいなモニュメントを発見しました。
このモニュメントのあるところに沿って、七福神めぐりができるみたいなんです。
工夫されてる!


 次回8月からは、原爆ドーム関連のお話です。
 お好み焼きの話も、ちょっとしようかな。
 広島人には、どちらも「耳タコ」な話なんですが、このイングレス日記は、世界に向けているので(なら日本語で書くなよ)、知らないストーリーもあるかもしれません。
 まあ、工夫して書きますよ。
 お楽しみに。

広島歴史散策 (007)

広島歴史散策  アスリア  二〇一五年七月四日
 (第07回)
歴史 広島 遺跡 
 以下は、図書館で調べた史料と、それに対するわたしの感想です。

(引用開始)
二葉の里 七福神めぐり 『郷土史紀行 50』より抜粋(中編)

☆鶴羽根神社
弁財天(智恵財宝の神)
ひく琵琶の妙なる音にも
似たるかな
福を喜ぶ諸人の声
介財天は琵琶を抱えたやさしい美しい唯一の女性神で、河の神、水の紳として崇拝され、後に梵天の妃になったとされています
 水のようにどんな器にでも入る素直さと 岩をも通す強い意思を示され、知恵・財産・財福の徳がある神です。

 











☆広島東照宮
福禄寿 (招徳人望の神)
仰ぎみるその御頭の長きごと
延寿の徳を与えまします
福禄寿は円満な人柄、誰からも信頼され尊敬される徳を与えてくださいます。
 長い頭は冷静に慎重に物事を考えて行動することを表しており、福は幸福、禄は高禄、寿は長寿、この3徳を兼ね備えた神です

 


☆感想
  弁財天は、音楽の神さまですよね?
 たしか、宮島に産業がないのを気の毒に思った弘法大師が、弁財天の琵琶の形をしたライススプーン(しゃもじ)を発明したという話を、どこかで聞いたことがあります。
 極楽の妙なる音楽を、この弁財天がつまびいているとか……。
 西洋だと、天使がハープを奏でてますな。
 静かな空間に、静かな音楽が流れるのは、高級感があっていいと思いますが、
 個人的には、天国では、
「スリラー」(マイケル・ジャクソン
 とともに、天使たちがゾンビ踊りをするのも楽しそうとか(こら)

 頭の長い神さま、福禄寿については、頭長いと言う共通項から、落語みたいな昔話を思い出します。
 田舎の村でのこと。
 都会から領主がやってくるということで、村を挙げておむかえしなければならなくなった。
 食事を出すのも作法があるということで、準備万端、領主を迎える。
 領主が、「ちょうずを回してくれ」とお願いする。
 ちょうずというのは、お手洗いのことです。
 わかんない村の人は、
「ちょうず? 長頭!」
 と勘違い。頭の長くて大きい男を、領主のまわりでくるくる回し、ごきげんをとった、というお話です。

広島歴史散策 (006)

広島歴史散策  アスリア  二〇一五年七月四日
 (第06回)
歴史 広島  


めっちゃ蒸し暑いです! そろそろ、梅雨も明けて欲しい。
今回から、前半・中半・後半にわけて、二葉通りの七福神めぐりをご紹介します。
二葉通りというのは、広島駅北口(新幹線口)前を通る道路のことで、ちょっと歩くとスーパーのイズミマートや、今年一番にお邪魔した饒津神社にぎつじんじゃ)があります。

以下は、図書館で調べた史料と、それに対するわたしの感想です。

(引用開始)
二葉の里 七福神めぐり 『郷土史紀行 50』より抜粋&わたしの説明(前編)

饒津神社
恵比寿天(商売繁盛の神)
 釣り上げし魚の宝と 抱きしめて笑う 恵比寿の神御威徳
 恵比寿天は鯛を釣り、竿を持った姿で、もともとは漁業の神で、商売繁盛の神さまとして広く信仰されています。
 不景気の時は、それを吹き飛ばし、好況の時はそれを持続発展させ、わたしたちに福徳円満をくまなく与えてくれます。

明星院
毘沙門天(融通招徳の神)
魔を降ろす 猛き姿にひきかえて 情にあまる福徳の神
 毘沙門天はこわい顔をして、身を甲冑で固めていますが、私たちを外の敵から守ってくれる優しい神です。
右手に財福を生み出す宝棒を持ち、左手にに棒げる宝塔は災難を取り除き、限りない幸福を生み出すといわれています。
(引用終わり)

 ☆感想
 俳句みたいなのが、像のそばに表示されています。
 だれがこの詩を作ったのかは不明です。
 なんとなく、江戸時代っぽい雰囲気がありますが、どうなんでしょうか。
 イングレス・ミッションのなかに、「二葉山山麓七福神めぐり」というのを見つけたので、二〇一五年七月六日、一時間半かけてめぐってきました。(hironiさんミッションつくってくださってありがとう!)
今回は、テキスト中心ですが、来週は写真も入れます。お楽しみに。

広島歴史散策 (005)

広島歴史散策  アスリア  二〇一五年六月八日
 (第05回)
広島  歴史
蒸し暑い日々が続きます! 外に出ると、雨で身体にカビが生えてくるかと思いますよ。
 今日は、世界的ゲーム「イングレス」のなかの、三滝寺ミッションがあったので、そのことについてお話しします。
 主として本の引用/抜粋と、その感想です。
 作家や学者のなかには、引用元を明らかにしないでエッセイを書く人もいらっしゃるようですが、わたしはそういうことは、出来るだけ避けます。情報源に失礼じゃないですか。情報源が間違ってる場合にも、言い訳できるしさ(笑)
 というわけで、以下引用。

三滝寺 『郷土史紀行 50』 より抜粋
 ☆十一月下旬に、年一度の「もみじ祭」が、三滝寺で行われる。
 ☆右手の石段の上にある多宝院は、県の重要文化財に指定されている。
  また、塔内には「木造阿弥陀如来坐像」があり、もみじ祭に開陳される。

 ☆駒ヶ滝(下段の滝)
 多宝院が立つ丘を下り、参道を少し登ると、右手の大きな四体の立像が目に入る。左から、弘法大師真言宗)、両手を合わせ数珠を掛ける日蓮聖人(日蓮宗)、右手に警策(きょうさく)を持つ道元禅師(曹洞宗)、両手に数珠を掛ける親鸞聖人(浄土真宗)と順に並ぶ。いずれの教祖も若い。真言宗のお寺ながら、他宗の教祖がおられる。境内には、原爆被災者供養碑のほか、有名人の誌、和歌、俳句などの文学碑があり、種々の石仏が配される.

☆境内に三つの滝
 ・参道の鐘は、現代鐘だという。そのため、余韻は長い。
 ・このお寺は真言密教である。
 ・梵音の滝、幽明の滝と、境内に三つの滝があるのが独特。

(引用終わり)

☆感想
 初めて三滝寺に行ったのは、いまから十年ぐらい前でしょうか。そのあたりに住んでる人に案内されて、お邪魔しました。
 ところが、説明が全くなかったので、参道の鐘は、お寺から帰るときに撞いても意味がないなんて知りませんでした……。
 最近、また行く機会があったので、お邪魔したんですが、鐘を撞くタイミングをすっかり忘れていて、またなにもせずに戻ってきました。く、くやしい。
 それはまあ、ともかく、真言宗のお寺なのに、他宗の宗祖が彫刻されているなんて、日本人らしいおおらかさだなと思います。平和でステキだ。