広島歴史散策 (009)
広島歴史散策 アスリア 二〇一五年八月一日
(第09回)
以下は、図書館で調べた史料と、それに対するわたしの感想です。
『原爆ドーム世界遺産登録記録誌』より
☆原爆ドームは、昭和40年頃に、当時の最新技術だったエポキシ樹脂で、がれき類を固められた。
☆原爆ドームを世界遺産に登録する際、アメリカの反対を予測した人々は、原爆の責任は問わないことを決定した。まずは広島市に文化遺産として登録し、その後日本に働きかけて、日本の重要文化財として認めさせ、その後、世界にという手順を踏んだが、日本政府はなかなか文化財として認めなかった。
☆原爆ドームは、最初は、思い出すことが多いので取り壊したいという人も多かった。
(感想)
一九四五年八月六日、午前八時十五分。人類最初の熱核兵器が落とされました。
その後、残った遺跡も、復興の波で次々と取り壊されまして、今残っているのは、日赤とか帝国銀行(現アンデルセン)とか、数えるほどしかありません。
その中でも、特に有名なのがこの、原爆ドーム。
姿も美しいですよね。瓦礫だけど。
壊れかけているだけに、風雨にさらされたら、あっというまに崩れちゃうってこと、常識的に考えれば当然なのですが、ここに来るまでそれに思い至りませんでしてね。
瓦礫をエポキシ樹脂で固めるって話を読んで、
「うへー。根性!」 と思ったのはナイショです(汗)
トルーマンが原爆投下を決めたとき、原爆を開発したオッペンハイマーたちが反対したが、トルーマンは聞かなかった。って話を、テレビか何かで聞いたことがありまして、これには人種差別の問題もあるのでは、という話も一緒に放送されていました。
その証拠に、ドイツには落とさなかったじゃないかというわけです。
差別って、微妙な問題も含まれますね。
そういうこともふくめて、この広島に来てから、いろんなことを発見しています。
平和公園は、わたしにとっては、「異世界」です。
過去にああいうことがあったのは事実だとは思うのですが、実感が伴わない。
今度5日夜22時から、広島みなと公園で、平和のイングレス運動をしようというお誘いが来ましたが、そのイベントの企画者も、「自分は広島人だが、平和な現代しか知らなかった。しかし、イングレスをする間に、いろんな遺跡と巡りあい、考え方を変えることになった」という内容の記事が載っていました。
その通りだなと思いました。
来週は、被爆70周年の関連記事です。よろしくお願いします。