広島歴史散策 003「広電物語 (前半)」

 広島歴史散策  アスリア  2015/06/22

歴史 広島 鉄道
 (第03回)
☆広電物語(前編)
 ここ、広島では、まだ梅雨です。
だんだん、暑くなってきました。今日は、広島電鉄関係の話を書きます。
 
 ☆広電(ひろでん)が走る街 今昔 より 抜粋
 ※広島駅
 山陽本線の前身、山陽鉄道が広島まで開通したのは、明治27年(1894)6月10日、その頃はまさに日清戦争開戦前の緊迫していた時期で、政府は広島まで開通した山陽鉄道と、軍の重要拠点となる宇品港(うじなこう)を結ぶための鉄道の建設を急遽決定した。
 広島〜宇品間5・9KMを、仮設とはいえ同年8月4日、着工してわずか17日間で完成させている。
 最初は本駅と呼ばれていたが、平成十三年(2001)11月1日、他の停留所名変更と同時に横川駅と歩調を合わせて「広島駅」と改称され現代に至っている。

 ※猿猴橋
 猿猴というのはカッパの異称と考えられるが、毛利氏の城下町時代からその名称が記されており、なぜこのような名称が付されたのか由来は定かではない。
 現在の猿猴橋は大正15年(1926)に架け替えられた橋で、当時は欄干に二匹の猿ともカッパともつかない奇獣が桃を捧げ持ったブロンズの装飾が施されるなど、優雅な橋であったが、戦時中、その飾りも金属回収で取り去られ、時代の波を大きく受けてきた。さらに原爆の閃光も浴びたが、その惨禍にも耐えて生き残った橋でもあり、現存する広島市内の橋としては、もっとも古い部類に入る。

(感想)
 広島駅について
 広電の広島駅から宇品港までの距離を、17日間で仮開設しちゃうって、すごくないですか? 「富国強兵」っていうのを教科書で習いましたが、当時の日本人って、エネルギーがハンパない! 最近の若者も、少しは見習って欲しい(笑)

猿猴橋町について
 猿猴川沿い散歩で、猿猴橋の近くを歩きました。たしかに猿猴橋は、古い雰囲気がただよっています。あのあたりは、非常に近代的な巨大橋もかかっていて、対照的な感覚があって楽しいです。
猿猴橋は、戦時中に、飾りを奪われたって言うんですが、再度つければよかったのに。
 デザインした人が、いなくなったのかな。

 来週あたり、広電物語の後編を書きます。よろしくお願いします。