日曜日の歴史学

筆者の山本 博文(やまもと ひろふみ、1957年2月 - )は、日本近世史専攻の歴史学者岡山県生まれ。1984年、豊臣政権において諸大名との意思伝達にあたる「取次」に注目した論文を発表。以後、「取次」概念は、その後の豊臣政権研究の不可欠な概念となる。1991年、家光政権を考察した「寛永時代」では、家光の病気の政治的影響を重視するなど、人間の体温まで感じる歴史叙述をめざした。

1992年、萩藩毛利家、江戸留守居役福間彦右衛門の活動を描いた「江戸お留守居役の日記」で、日本エッセイスト・クラブ賞受賞。その後は、精力的に江戸時代の大名や武士をめぐる著作を刊行、武士道ブームの火付け役の一人となる。「殉死の構造」や「切腹」では、武士のあり方から日本人のメンタリティーの特質を究明しようとしている。また、1995年に出版した「鎖国と海禁の時代」では、従来の「鎖国令」の定説をくつがえした。大奥女中研究では、篤姫に仕えた「つぼね」書状などを発掘し、篤姫が薩摩の赤味噌を好み、薩摩藩の奥から提供していた事実を発掘し、話題となった。歴史学者の仕事を一般に紹介した「日本史の一級史料」などの著作もある。2009年には豊臣政権に関する文書を考察した『天下人の一級史料』を刊行した。
(以上、ウィキペディアより)

 「日曜日の歴史学」P90では、山本氏は「固定的な歴史観念から離れる」として、
「悪代官史観に疑問を持つ」、という項目を立てています。
 これによると、「水戸黄門」のおかげで代官はみな庶民を苦しめる悪人のように思われているが、実際にはそうではなくて、結構民主的だったということを書いています。
 意外でした。
それと、「鎖国」という概念が、何時、どのように生まれたのか、というところに注目して、それについても色々書いています。
 明治時代において「鎖国している状態だ」ということを、客観的に日本人が把握していたからこそ、尊王攘夷運動も起こったのだ、としています。
 鎖国政策が一般人にも常識だったというのは、改めて言われると、新鮮な驚きがありました。

当たり前のことですが、ネットに論文を載せるときは、引用文献を明示するのがまともな学者のすることだ、ということもよくわかります。
 論文エッセイだから引用文献は書かなくていいんだ、というスタンスではないようです。
 自分の調べたことに、自信があるんですね。
 史実にのっとった、正確な知識であるという。

 どこかのだれかさんとは、スタンスからして全然違う。
 やっぱりそれなりの地位を築いてる学者は、違います。
 論文エッセイと称して、論拠も示さずに、偉そうに自説を述べてる三流学者とは、大違いですね。見習ってもらいたいもんだ。